その他への漢方

中国と日本における漢方の歴史

歴史

こんにちわ、りんりんです。
漢方の歴史って興味ありませんか?
筆者はあまり興味がございません。記事は書いているけど!
なぜなら臨床では漢方の生い立ちを説明する機会はそうそうないからです。
でも、漢方を勉強するうえでは知っておいたほうが良いのかもしれません。

紀元前

史実として残っているのは中華の戦国時代。
馬王堆医書(まおうたいいしょ)は最初の医学書ともいえる。
それから漢の時代がくると黄帝内経と神農本草経の原書が成立する。
黄帝内経と神農本草経と傷寒論は中国医学の三大古典と言われています。

馬王堆医書(まおうたいいしょ)

最初の医学書とも言えます。

黄帝内経(こうていないけい)

素問(そもん)と霊枢(れいすう)からなる医学論文書。
素問はQandAであり、病理や生理学など基礎理論が中心。霊枢(れいすう)は診断や治療といった臨床に関することが書かれている。

神農本草経(しんのうほんぞうきょう)

中国最古の本草学です。古代ではもちろん薬なんてものは作る技術がなかったので薬草である生薬を用いていました。365種類の生薬を上中下でランク分けすることでこの時代で既に使い分けが行われていました。
上品(120種)は養命薬と言われ、一番毒性が低く長期で使用しても問題が出にくいもの。
例:甘草、人参
中品(120種)は養生薬と言われ、疾病の予防や上品の効力を上げたものが収載されている。使いようによっては毒にもなる可能性あり。
例:当帰、麻黄
下品(125種)は治病薬と言われ、病気を治すために使われる。そのため毒性が強く長期の連用はできない
例:トリカブト

紀元後

日本にはまだまだ漢方関連の書物はありません。
一番最初に伝わってきたのが6世紀半ばの百済経由できた仏教に追随したものです。
仏教の経典のほか仏像や楽器、医薬書も伝わってきました。
のちに有名な遣唐使が多数の医薬書を渡来させます。

傷寒論(しょうかんろん)

日本の漢方における聖典とも呼ばれるとっても有名な傷寒論。
主には急性熱病を対象としたもので、慢性病は金匱要略に書いてある。
張仲景が原書を書いたのが3世紀なのに日本へ伝来してきたのは宋の時代に印刷されて来たのが鎌倉時代とだいぶタイムラグができてしまいました。

万病回春(まんびょうかいしゅん)

時代は飛んで、明になります。(1589年)
万病回春は傷寒論から外れた急性疾患に対応すべく記された医薬書です。
明の時代で出版されたが、日本では江戸時代に大ヒットしている。
有名どころだと六君子湯などの漢方が記載されている。

本草綱目(ほんぞうこうもく)

同じく明の時代に出版されました。(1590年)
本草書の集大成とも言える、薬用植物や鉱物など今でいう生薬の教科書です。
日本最古の本草書は本草和名(918年ごろ)と言うけど時代が全く違うので別物として考えます。

近代

江戸から現代にかけて日本漢方は一気に進化します。
傷寒論を解析し日本風にアレンジすることで漢方は現代のものへと整理されていきました。

しかし医学は蘭学を始め西洋医学が圧倒的支持を得るようになります。
時代は西洋化していくんですね。
徳川幕府から明治新政府に変わるタイミングで漢方は廃絶されます。

漢方は終わったと思われましたが、明治43年(1910年)に医界之鉄椎という本が出ます。
医学が専門分化され統合的な考えが難しくなった医療界の現状を憂え、漢方こそが統合的治療の根幹に据え置かれるべきものであることを主張した、この本は大きな反響を生みます。
この反響により漢方は再起します。
一部の医師や薬剤師により漢方はひそかに生き続け、1927年には湯本求真が皇漢医学を出版。
この本をきっかけに昭和時代に漢方は復活します。
やがて、1950年には日本東洋医学学会が設立。
1976年には医療用の漢方が薬価収載され、日本医療でも正式に漢方治療ができるようになりました。

まとめ

まとめ
  • 中国では日本より遥か昔から医薬書があった
  • 日本漢方は傷寒論を聖典としている
  • 日本漢方は1回廃絶している

漢方の歴史において中国は切っても切り離せない関係にあります。
その元をたどれば中国にたどり着くことがわかりました。しかし、日本の漢方は傷寒論から時代を経て日本独自のアレンジが加わっており中国でいう現代の中医学とは全く異なるものだと筆者は思います。
これからも日本の伝統医学である漢方を薬剤師として大事に守って、臨床現場に活かしていきたいものです。
ではこのへんで~。